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コラム

■死をかんがえるきっかけ

このサイトは自分の死を生きているうちに自分の気持ちや伝えたい事をまとめ、家族や愛する人に残しましょうという提案のためのものです。

人間の死を真剣に考えるようになったのは10年ほど前の父との死別からでした。

父は普段の健康状態は良くも悪くもなく口数は少ないながらも強く優しい人ででしたが、夏の炎天下の中、調子が悪くなり入院しました。
入院治療で一旦は回復しかけましたが、すぐに容態は急変し大学病院へ転院後そのままICU(集中治療室)へ入ることになり命はとりとめましたが油断できない状態が続きました。 その時医者からは「状態はかなり深刻で、もし回復したとしても脳の障害が残るため植物状態か寝たきりになる」と言われました。

その時は「それでも良いから助けて欲しい」というのが家族の純粋な願いでした。それから何日か24時間心配な日々が続きましたが、父は言葉を何も言うことはないまま亡くなりました。 後になって冷静に考えれば植物状態の父を介護する事は容易ではなく、おそらく家族は崩壊していたでしょう。 今はこう考えるようにしています。あの時自分の状態を知っていた父は自ら死を選び家族に負担をかけないようにしたのだ。最後の父の優しさだったのだと。

父は遺言など一切残していませんでした。幸い母は健在ですので相続などの問題はありませんでしたが、なにか家族に言いたい事はなかったのか、 法的に有効か無効かではなく何か言葉を残してくれれば・・・と思いました。

我が家は熱心な信者というわけでもありませんが、とにかくあの世でも幸せになって欲しいという願いから一般的な仏式の葬儀をし、なまくさ坊主の簡単なお経に高い金を払い 霊園に少し立派な墓を建て、家には仏壇も購入しました。

その当時はまったくの素人ながら疑問を感じました。
好きだったわけでもない菊の花に囲まれて今までほとんど聴いたこともないお経を聴かされて成仏とやらが出来るのか?父の大好きだった家ではなく、殺風景な墓地に墓を造らなければならない理由は何か?

父が生きているうちに「葬式の花はヒマワリがいいな、墓は白にしてくれ」という一言をのこしてくれれば話は変わっていました。
信仰や宗教に関係なく自分の意思を伝えることは必要なことなのだと思いました。

今でも母が毎日のように墓へ行き供養をしてあげています。おそらく父は幸せでしょう。幸せであって欲しいものです。



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